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2016年11月13日 (日)

不思議なこともあるもんだの巻

ゆうべは、ふだん泊まらないホテルに泊まった。若干お高めだが快適なホテルで、なかなか予約が入らないのだが、春先に結構お安く予約できていた。

この週末、水戸は混んでいて、いつものホテルは春先から満室だったのに、なぜかいつも泊まりたいなと思いながら泊まれないうこのホテルには予約が入った。こういう部屋ってワケありだって言うよねえとチェックインしたら、8階の一番端っこの部屋で、確かになんとなくイヤ~な雰囲気を醸し出してる。

でもゆうべのぼくはひどい風邪気味でフラフラで、コンビニご飯を流し込み、水戸駅ビルの薬局で買った風邪薬を飲んで9時には気絶したので、もしお化けが出ていたとしても熟睡していて気づかなかったから、なんだか気の毒をしたかもしれない。

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人気のホテルだけあってベッドの寝心地がとても良くて、闘病には助かった。これがいつも泊まるような木賃宿だったら、風邪はもっと悪化していただろうと思う。まあとにかく今回の風邪はひどかった。

ここ数日、調子がおかしかった。でも現場に入った金曜日の日中には、くしゃみが止まらないくらいの自覚症状しかなかった。今から思えば金曜の夕方、栃木県のツインリンクもてぎの現場に入って2件インタビューをこなしたときにはおかしくなっていたんだと思う。現場は寒かったらしいのに、ぼくはなぜか汗ばんでせっかく持って行ったブルゾンも羽織らず薄着で、編集部員に「それで寒くないのか」と言われたりしていたのだ。

夜、水戸のビジネスホテルにチェックインしたとき、少し体調に異変をおぼえたので迷ったけれど、せっかく久しぶりの水戸駅北口だからなと夜の街に出撃したらすっかり風邪が悪化した。

夜、くしゃみが止まらずのどが痛んでベッドに横になると息がつまって、結局朝までうつらうつら断続的に1時間ほどしか眠れなかった。発熱こそしなかった(と思う)ので不幸中の幸いではあったけど、あんなに辛い思いをしたのは記憶にないくらい久しぶりだった。

おかげで土曜の現場ではボロボロで、必要最小限の取材しかできず、ずっとプレスルームの椅子に座りっきりだった。ホントは駐車場のクルマに戻って横になりたかったんだけど、近年のツインリンクもてぎではメディア駐車場がおそろしく遠くて、気軽にアクセスができなかった。

プレスルームでもくしゃみと鼻水が止まらなくてどうしようかという状態に陥った。「ああ、しまった、鼻水・鼻づまり用のスプレー剤を持ってくれば良かった」と思ったけど、こんな状態になるとは予想もしていなかったし、ないものねだりだよなあとあきらめた。ところが、午後、たまたまカバンを開けたら、カバンの奥に入れた覚えのないスプレー剤が入っているではないか。

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いやもう、自分の目を疑った。不思議なものだなあ。なぜぼくはこの薬をカバンに入れたんだろう。それも、いつ入れたんだろう。無意識のうちに入れたんだなあ。でもなぜ? いつもは絶対にわざわざ持ち歩く薬ではないのに。ときどきこういうことがあるよね。でもホントに助かった。

で、ゆうべのホテルに話は戻るんだが。この週末は水戸が混んでいて連泊ができなかったのでホテルを変わった。たまたま予約が入ったから泊まったけど、経費削減の折からいつもなら泊らない、というか泊まれないホテルだ。もし連泊できていたら、金曜の夜のビジネスホテルに居続けたはず。

そうしたら決して快適とは言えない部屋の寝心地の良くないベッドで、ぼくは苦しい闘病を強いられるところだった。ところが「え、ナニコレ? ワケあり?」とおびえながらチェックインしたホテルが快適で(いや、なんかヘンなのが夜中に現れていたのかもしれないけど)ホントに助かった。これも何か不思議な巡り合わせだよなあ。

なぜかカバンに入っていたスプレー剤といい、なぜか予約ができたホテルといい、この週末はなんか神様と一緒にいたような気がするなあ。世の中、悪いことばかりじゃないね。いろんなことがダメダメで世を拗ね気味ではあるけれど、もう少しガンバレ、と耳元で神様にささやかれたような気分がする。

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2016年11月 8日 (火)

ロマンポルノと、さらば青春

ゆうべ、たまたま小椋佳さんの「さらば青春」が耳に入ってきた。プチブル香る小椋佳さんの音楽はあまり好まなかったぼくではあるが「さらば青春」だけには妙にノスタルジーをかき立てられる。というのも、高校を卒業する冬、つまりは大学受験でいっぱいっぱいになっているはずの時期に、将来を見失ってすべてを放り出し、ぶらりと京都へ遊びに行ったときのことを思い出すからだ。

当時のぼくにとって京都は「反権威」の象徴的な土地だった。だから京都に住もう、そのためには京都の大学へ入学しようと思っていた。今から思えば、なんだか都合のいい位置づけなんだけれど、まあ若気の至りというやつだ。

ただ高校時代に(たぶん)ちょっと頭を患ったせいで卒業時点では到底学力が伴わず、それを自覚していたぼくは行き場をなくして自堕落な生活に陥っていた。確か高校卒業前に、現役で大学に進学することを自分の中であきらめて、将来に対する不安を抱え込んだままフラフラ暮らしていたのだった。それでも「東京じゃねえよ、京都だろ」とうそぶくことは忘れなかったんだが。

で、同級生達が受験勉強の総仕上げにかかっているのを横目に、ぼくは新幹線に乗って京都へ散歩に出かけた。1日目は、きりりと引き締まる空気の中、お寺を巡ってはスケッチをした。2日目には、昔住んでいた枚方へ足を伸ばして、昔の家や周囲の遊び場をスケッチするつもりだった。
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そのとき描いた枚方の景色


ということはどこかで泊まらなければならない。でも高校生のことだ、宿に泊まるほどのお金は持ち合わせてはいなかった。それで1日目の夜は、新京極のお好み焼き屋で日本酒を熱燗で1合呑みながらお好み焼きを食べ、そのまま近くのオールナイト上映をしている映画館に入った。ずいぶんきれいになってしまったけれど、今でもその映画館は健在だ。

番組はというと、オールナイト上映お約束の日活ロマンポルノで、その1本が「卒業5分前」だった。今調べると、正式タイトルは「卒業5分前・群姦(リンチ)」だったようだがその記憶はない。でもその映画のテーマ音楽が、なんとまあ小椋佳さんの「さらば青春」だったことは憶えている。主演は小川亜佐美さん。男子高校に通っていた当時のぼくにとっては、世の中にはこんなに美しくてエロティックな生物が野良で歩いているのかと、珍獣的な憧れの存在だった。

数々の個性的な映像作家、俳優、女優を生み出すことになる日活ロマンポルノもまた、ぼくにとってはある意味「反権威」の象徴だった。権威や世の中の流れに背を向けて京都に遊び、一杯呑んだ後で日活ロマンポルノを観て夜を明かす高校生のオレ格好いいと、まあ要するに、ぼくは思い通りにならない世の中に落ちこぼれかかって拗ねていただけのお子ちゃまだったわけだ。

日活ロマンポルノは、成人映画とくくってしまえばそれまでだけれども、今のAVとはちょっと位置づけが違っていたように感じる。敢えていうならば安保世代やそれに関わった人々に影響を受けた心情シンパ(ぼくがまさにそれだが)の敗走先であって、単純ないわゆる「ピンク映画」とは違って、エロティシズムの裏に独特の主義主張が通っていた(と、思っていた)。

当時の小椋佳さんはレコード大賞作家であり人気シンガーソングライターだった。今から考えればよくもまあ楽曲を「ポルノ映画」に提供したもんだなとは思うけれど、その理由や経緯は知らないまま(今でも知らないけど)、ぼくは勝手にちんけな満足感を覚えたものだ。世の中の秩序の象徴である小椋佳さん(なにしろ東大を出て都市銀行に就職してそこから大メディアの寵児になったわけだから)を引きずり込んだことで、敗者の巣窟であった日活ロマンポルノが、まるで勝者である社会に一矢報いた図式に見えたからだ。なんとも青臭いこじつけだが、若々しくてよろしいような気もする。

とかなんとかいう思い出が、たまたま聞こえてきた「さらば青春」の向こうに浮かんできて、おっさんは懐かしさに包まれたのだった。このたび日活ロマンポルノが甦るらしいのだが、これは見に行かなくちゃいけないかなあ、と思う今日この頃である。

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