戦争するなと言う母親の遺言
ぼくの母親は今93歳。90歳の時に深刻な大動脈瘤解離を起こして救急搬送され8時間にわたる大動脈置換の大手術を受けて、一命を奇跡的に取り留め生還した経歴の持ち主である。ただしそのときの後遺症で今は下半身不随で介護なしには生活できない身体にはなってしまった。
母親がぼくに繰り返す遺言はただひとつ、「戦争は二度とするな」である。実は、ぼくの母親は、先の大戦で召集令状を受け取った数少ない女性の一人である。先日もその手のTV番組があったようだが改めて言うと、召集令状、俗に言う赤紙は若い男性だけが受け取るものではない。実は女性にも送られている。
ぼくの母親は赤十字社の看護婦であったため、病院船の乗組員として召集された。そして母親は大戦の期間、病院船に乗って主に太平洋地域の戦地を巡っては傷病兵を収容し内地へ送り届けるという任務を繰り返し続けた。ちなみに母親はその頃、中国大陸で衛生兵として戦地の地べたを這いずり回っていた父親と知り合い、戦後結婚してぼくを産み育ててくれた。
航海中は病院船とはいえどもいつ雷撃を受けるかわからない覚悟だったという。看護婦にはそれぞれジャックナイフが支給され、就寝するときも身につけて、船が沈没して海に投げ出されたとき、それで鮫と闘えと言われたのだそうだ。ほとんど笑い話だが、そんなことを若い白衣の娘たちを前に真剣に言いつける日本軍の将校が船には乗り組んでいたらしい。バカバカしいにもほどがある話で、こんなバカが幅をきかせていた日本軍は先の大戦に負けるべくして負けた。ぼくは本当にそう思う。
その母親が「戦争は二度とするな」と今でもぼくに言う。船に乗っていた母親自身は悲惨な戦場に直接立ち会ったわけではない。しかし戦場で負傷し運ばれてくる傷病兵は、それはそれは悲惨な状況で、治療が追いつかずモルヒネをバンバン打って大人しくさせて内地へ送還する以外しかたがなかったらしい。
それは確かに悲惨には違いないが、最前線を経験したわけではない母親がなぜ「戦争はするな」とここまでしつこく言うのかと敢えて確かめたことがある。すると、母親は「中国に寄港した際、日本人が中国人を人間扱いしていない様子を見た、それがあまりにもつらかったからだ」と言う。人間が人間を、理由もなく人間扱いしない状況が、母親には人間として耐えられなかったのだ。その状況はいかなるものだったのか。戦後70年も経っているのに母親がぼくにそう言い聞かせるのだからよほどのことだったのだろう。
母親の証言を信じる限り、戦中の日本人が中国人を「虐待」していたのは事実なのだろう。母親が自分の目で見てきたと言うことを否定することはぼくには出来ない。ただ、では国家が加害者として被害を被った相手の国家に謝ったり補償をすれば話は済むのか、というとそうではないとぼくは思っている。ひとりひとりの日本人が、その尋常ではない状況を正しく認識して、その後でそれぞれが対応を真摯に考えて結論を出し対応するしかしかたがない。実はその方が、国家まかせで謝ったり補償をしたりするより、はるかに難しい課題である。「中韓にはもう十分謝ったのだから改めて謝る必要はない」と胸をはる方々が少なくないが、じゃお前自身は何をどれだけ考えたのよ、と確かめてみたくなる。
念のために言っておけば、母親は「人間を人間扱いしない」のは、何も日本人と中国人の関係に留まらず、日本軍の将校や軍医は、他ならぬ日本人の兵卒も人間扱いしていなかった、と言う。つまり、お国のために闘った結果負傷をした兵隊の手足を安易に「面倒だからちょん切れ、あとはモルヒネ打っとけ」で済ませていたようなのだ。戦争というのはそういうものだということだ。それを含めて母親は「あんな偉そうなだけのバカをのさばらせる戦争はしてはいけない」と言っている。
戦争は弱者を打ちのめす。ぼくの父親は兵隊として戦場で這いつくばった挙げ句に、台湾にあったすべての財産を失って茶碗1個だけ持って内地に帰還し、鎌倉でルンペン生活を送るはめに陥った。父親は既にこの世の人ではないが、「天皇陛下にだまされた」と言い続けて死んだ。それはそうだ。若き世代を天皇陛下のために戦場で過ごした挙げ句に、何もかも失い着の身着のままの一文無しになって知らない「本土」に放り出されたのだ。
確かに年金こそ受け取りはした。しかし兵隊である父親を操っていた人々が、土地も財産も地位も生命も国内に温存した挙げ句に、今になって先の大戦を美化しようとまでしているのに比べれば、あまりにもささやかな補償だ。ぼくは、ルンペンの末裔である。ぼくが今のんきに原稿など書いて暮らせるのは、文字通りの無一文から生活を立て直し子供を産み育ててくれた父母のおかげなのだ。ぼくはそんな父母を心から誇る。
ちなみに、ぼくは父親が恨み辛みを語っていたからと言って自分の中に天皇家や天皇制度に対する特別な感情は持っているわけではない。怒りも恨みも感じない。ただし無条件な敬意も感じない。先だってロックシンガーが勲章をズボンの尻ポケットから出したのが不敬だ、反日だといきり立った人々がいたが、その偶像崇拝的指弾が理解できず「ポカーン」とするばかりだった。「天皇陛下に勲章もらったぜ、イェ~イ」と自慢できない社会が、素敵な社会だとは到底思えない。
ぼくは、バカな将校に使われるのは忌避するつもりだが、日本を守るために闘うこと自体はやぶさかではない。それは日本という国を愛しているからだ。ただしここで言う日本とはあくまでもこの国に息づく文化と家族であって、断じてかつて言われていた「国体」ではない。
一方でぼくは「戦争してはいけない」という母親の遺言は守らねばならない。しかし現在の世界の情勢を見聞きする限り、正直なところぼくは現代の我が日本国が「戦争できない国」になってはいけないとは思っている。戦力の完全放棄は迷う必要のない理想ではあるが、現実世界の中にあってそれはあくまでも空想的理想であって、戦争の結果ルンペンになった男の息子には絵空事に聞こえる。
今は、戦争を二度と「しない」ためにも、我が日本国は戦争「できる」国でなければならない、日本という文化や家族を守るためにはイヤでもしかたがないことだ、という結論にたどり着かざるをえない。この考え方が、母親に通じるのかどうかは確かめたことがないんだが。
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