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2016年4月11日 (月)

うたたとぼくの窮地について

実は昨年末、耳血腫の治療にナマ猫うたたを主治医の動物病院に連れて行ったところ、たまたま深刻な心臓病が見つかった。肥大型心筋症といって、大型ネコにはよく見られる病気らしいが完治させることはできず、そのうち生命にも関わってくるという。この先うたたには、ずっと薬を飲み続けて少しでも病気の進行を防ぐしか道は残されていない。悲しい、と言い切ってしまってはうたたが可哀想だが、厄介な事態になった。

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ぼくはうたたと一緒に病気と闘っていくことにしたけれど、同時に思い切り甘やかすことに決めた。親からはぐれて瀕死の状態で保護された可哀想なネコだ。引き取ったからには余生をできるだけ幸福に過ごさせてやりたい。

だが、わけあって独居状態にあって仕事も生活も破綻状況にあるぼくは、どうしてもうたたを看病してばかりはいられない。年末ころからは、心臓の病気のせいもあるのだろうけれど、うたたは徐々に精神的に不安定になって、ぼくにべたべた甘えたかと思うと、エサを一切食べなくなったりトイレの場所を見失ってしまったり思いもかけないところに隠れて1日中姿を見せなくなったりと異常行動を見せるようになった。

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ぼくは仕事柄、出張がちだけれど出来る限り短く切り上げるようにしてうたたとの生活を続けてきた。しかし今年もシーズンが始まってそれにも限界が出てきた。それと並行してうたたの様子もどんどんおかしくなってきた。エサを食べてくれなくては薬を飲ませることもできない。なんとかエサを食べさせようと様々な工夫をしたが、思うようにならない。2年前、先住ネコのひなたが悪性腫瘍で自力摂食ができなくなったときのことを思い出して切なくなった。

先日、どうしても5日間の出張に出かけなくてはいけなくなって、主治医の動物病院に預けた。出張から帰って引き取りにいったとき、今のぼくの状況をよく知っている旧知の獣医から「しばらく病院で預かった方がいいのではないか」と提案を受けた。獣医は、実は飼い主であるぼくの方が疲れ果てて様子がおかしくなり始めていて、それをうたたが負担に感じて悪循環に陥っているのではないかという。

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手を上げたり大きな声を出して叱ったりなど一切していないしむしろうたたの好き放題にしてきたつもりだったが、ネコは飼い主の緊迫した状況を敏感に感じ取るらしい。思い当たるフシもあるにはあるので、1か月後にまた長期出張があってどちらにしろ預かってもらわなければいけないこともあるから、獣医と相談のうえ、迷いに迷った結果、そのまま引き取らずにしばらく預かってもらうことにした。

先住猫のひなたのときから世話になっている主治医の動物病院は根岸にあって、昨年いっぱいで主治医自身は院長を若い獣医に引き継いで一線を退いてしまったが、うたたに関しては新旧の主治医が2人で親身になって相談を聞きいれ面倒を見てくれる体制をとってくれた。持つべきものは友。ありがたい話だ。

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獣医はぼくに「こうなってしまったことについて、決して自分を責めるな」と言ってくれる。でも、我が家でのんびり暮らすことができなくなったうたたのことを思うと、やはり自分を責めざるをえない。出張先で酔っ払っても、ふと気を許すとうたたに申し訳ない気持ちでいっぱいになって気持ちが解放されることはない。満載の仕事にも当然悪い影響が及ぶ。こんなことをしていては悪循環が断ち切れないことはわかっていても、どうしてもそこに入り込んでしまう。

ぼくにはうたたと一緒に暮らす資格がなくなってしまったのかもしれない。だからといってどうなるものでもない。もし悪魔がぼくとうたたの生活に関わろうとしているのだとしたら、「放っておいてくれ」と叫びたい気分だ。今はとにかく仕事をこなし生活を整理してうたたをもう一度最高の環境で迎え入れられるようにならなくてはいけないのだと自分に言い聞かせている。なんとまあ、思いがけない形で窮地というものはやってくるものなんだろうか。

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