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2013年2月17日 (日)

分銅屋のえんとつ再び

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小学生だか中学生の頃、国語の教科書に載っていたお話がおもしろくて続編が読みたくなって、でも続編など存在しないものだから自分で続編を勝手に書いたら、7歳上の姉が読んで「これはオマエが書いたのか、オマエはすごいな」と褒められた。でも正直に「元ネタがあって、その続きを書いただけだ」と言ったら「なあんだ」と落胆された。子供ながらに、確かに元ネタはあるけれども、だからといって容易に続編が書けるものではないぞと若干おもしろくなかったものだ。

ぼくは、好きな作品の続編を勝手に書くのが好きで、児童文学やら漫画やらTV番組やらの続編を自分の好きな方向で文字や絵にして楽しむ、引きこもりがちな子供だった。というよりも病弱で伏せってばかりいたので、病床では他にやることがなかったのだと思う。

姉に褒められそして落胆された光景を現在に至るまでひきずってきて、それはそれとして、あの元ネタは一体何だったんだろうと思っていた。ヒントは文中にあったと記憶する単語、「金分銅」と「煙突」だ。もはや元ネタの内容も忘れてしまったが、確か「金分銅」という屋号の何かの醸造元と、そこにあった製造用の煙突についての話だった。

作者は新美南吉あたりかなと思って、いろいろ調べはした。新美南吉のお話をやはり小学校の教科書で読んだ。そこに出てくる「大あん巻き」というお菓子が美味しそうで、実体はどんなものか想像するしかなかったけれども、あれこれ想像して胸をときめかせていたことがある。名作、「牛をつないだ椿の木」だ。ちなみに新美南吉のお話には他にもあちこちに、この手の「昔のお菓子」が登場する。多分、新美南吉は甘党だったのだろう。

で、金分銅も新美南吉ではないかと勝手に思っていた。最近になってキンドルを買ったら、無料のキンドル本として新美南吉の著作が収録されていて、早速ダウンロードして読んでみたが、懐かしいお話はあれこれ収録されていても、金分銅は登場しない。というよりもどうも作風が違うような気がする。新美南吉には結構詳しくなったけれど、これはもう金分銅の手がかりはなくなったなあと思っていた。

数日前、たまたま時間と気持の余裕があったので、改めて検索をかけてみた。検索クエリは「金分銅」と「煙突」である。あまりにも曖昧すぎて無理だなと思い込んでいたのだが、実際に検索するのは初めてだった。すると、これが驚き、いくつか「おや?」と思う記述がヒットした。それを確かめて仰天した。小学校の教科書で読んだ同じお話を懐かしがっている、ぼくのような人が他にもいたのだ。インターネットの検索は恐ろしい。

それによると、原文は「分銅屋のえんとつ」、氏原大作という児童文学者の作品で、小学校6年生用の国語の教科書に掲載されていたものだった。なんとか原文が読みたいと思ってクエリを絞り込んで探してみると、原文は見つからなかったものの、「教科書に載っていた懐かしい話」をまとめた本になって出版されていることがわかった。残念ながら教科書会社の出版で一般的な流通はしていないようだが、直接注文すれば入手が可能だという。で、注文した。代引きで送ってくれるらしい。こりゃ楽しみだなと思っていたらわずか中2日で到着した。ゆっくり読むつもりだ、「分銅屋のえんとつ」。50年近く、脳味噌の奥底に沈殿していた何かの思い入れを呼び起こすことができるかどうか。

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コメント

金分銅 煙突
これで検索しても、Google で全然ヒットしません。
もうおひと方のブログは閉鎖されていて、こちらに来ました。
「分銅屋のえんとつ」という題名がわかり、今度はいくつも出てきました。
ありがとうございます。

投稿: こおり | 2020年7月23日 (木) 04:00

やっぱり探している方がいらっしゃるんですね。おもしろいものです。わざわざコメントありがとうございました。

投稿: 大串信 | 2020年7月23日 (木) 06:26

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